【巣鴨伝説】雪の日
ちわす。
今日は我が母校、巣鴨学園で僕が実際に体験した伝説的事件について懐古していきたいと思います。
皆さんは巣鴨学園ご存知ですか?
関東の受験に関わったことのある人なら割と知っているであろう中の上くらいの中高一貫校です。もちろん、愛すべき男子校であります。(https://dosukoi-todai.hatenablog.com/entry/2018/06/08/172431)
この巣鴨学園は硬教育を謳っておりまして、文明が発達した現代においては割と厳しい校則(拘束)が多く存在し、また独自の伝統・学校行事などを持つなかなか他にはない学校だと思ってます。
創設者遠藤隆吉先生の先見の明もあり、最高の立地とも言える池袋に校舎があります。(巣鴨にはないので注意)
まあ学校の内容は巣鴨学園で調べれば出てくるんでここでは深く語りませんが、とにかく割と厳しめの学校だと思ってもらえれば結構です。(僕自身は首席卒業の秀才なので厳しいと感じたことはあまりありませんが)
んで、今回のお話は4年前くらい関東全域で大雪が降った時のことです。
周りの学校がその雪の日の前日以前から休校を宣言する中、漢・巣鴨学園は当日の朝6時半(学校間に合うギリギリの時間)になっても休校宣言を出していませんでした。
ここで普通の人であればどうせ休校だろうと思うのかも知れませんが、調教済みの巣鴨生は「学校が普通にあってもおかしくない」と思ってしまうので、あの日僕が家を出たのは当然のことでした。
最寄り駅に行ってみると案の定電車はノロノロ運転しており、ホームに人が溢れていました。その中に同じ制服の少年が。後に彼とはお友達になるのですが、その頃はまだ顔しか知らない程度の同級生だったので声をかけることもなくそのまま電車を待っていました。
七時頃になりようやく駅に電車が到着。ホームに溢れていた人が電車になだれ込みもみくちゃになりながら乗車。しかし、乗車する頃には先程見かけた巣鴨生の姿が忽然と消えていました。彼がスマホ(校則では持ち歩き禁止な為当然僕は持っていなかった)を確認していたことについてあの時深く考えていれば未来が変わっていたかも知れませんが、その時は「俺はエリート巣鴨生だ。帰ってしまったあいつとは違う。」などと意味不明な見栄を張っていました。(お前も帰れやバカ)
大雪の日の電車を想像していただければわかると思うんですけど、混雑と雪の影響で電車は通常30分の道のりを2時間かけて進み、ようやく池袋に到着。そこから悪い意味で一面銀世界の池袋を1時間ほど歩いてやっとこさ校門にたどり着きました。
そこで休校を告げられたんですけどね。
流石にガチギレしたので学校にわざわざ来た人リストのところに思いつく限りの罵詈雑言を書きなぐってそのまま帰宅しました。不幸にも学校にたどり着いてしまったエリートが結構いて流石だなって思いましたね。
そのまま命からがら帰宅したわけですが、結局帰ってこれたのが正午ぐらいで、その1日は無事死亡しました。
後になってわかったことなんですが、巣鴨が休校を決断したのが6時50分、休校の基準はJRが完全に止まるレベルの災害らしいです。
つまりこれはJRが頑丈すぎるが故に起きた悲劇だと言えますね()
ちなみに最寄り駅で休校情報を知りそのまま帰宅した彼は後にこの日僕に何も言わずに帰ってしまったことを謝ってくれました。(別になんとも思ってなかったですが)
関東全域から生徒が来る学校などという割には休校情報を出すのが遅すぎなんじゃないですかね?
ま、このことも今となっては笑い話ですし、巣鴨のやばさの片鱗に過ぎませんので…
今日はなんも思いつかなかったんで母校がたりしました。
色々言ってますが僕は巣鴨が好きなんで中学受験するみんなは滑り止めに巣鴨を受けようね!
最後まで読んでくださった皆様、